こんにちは、国東夢道塾です。

塾長が私を評して言うには、「理系のくせに歴史マニア」
とのことなのですが、しかしながら実際のところは歴史マニアな
どではなく、ちょっとした歴史好き…程度のものでしかありません。

どの程度の歴史好きかというと、
「戦国武将の中で一番好きな武将は?」と問われれば、
“高橋紹運”(たかはしじょううん)と答え、
NHK大河ドラマで取り上げてほしい戦国武将といえば、迷わず
“立花宗茂”(たちばなむねしげ)を挙げ、
歴史好きにはよく知られている戦国シミュレーションゲームでは
“吉弘鎮信”(よしひろしげのぶ)と“吉弘統幸”(よしひろむねゆき)が
過小評価されすぎだと憤り、(鎮信の父親の鑑理(あきまさ/あきただ)も
もっと評価されてよい)
もし仮に万が一「日本史上最も好きな武家は?」という
質問があれば、ちょっと食い気味に“吉弘家”と答えてやろうと
妄想する程度の歴史好き(吉弘好き)です。

というわけで、前置きは長くなってしまったけれど、
28日に武蔵町吉広の楽庭神社で行われた「吉弘楽」を見てきました。

国東市が作成したパンフレットによると、
吉弘楽は、南北朝のころ、大友家臣の吉弘正堅(よしひろまさたか)が
この地の領主となり、戦勝や五穀豊穣を祈願して始めたとのこと。

吉弘氏はのちに都甲荘松行村(豊後高田市)の筧城に本拠を移しますが、
そちらでも吉弘楽は行われていたようです。

吉広地区の吉弘楽は大友氏の滅亡により中断したらしく、その後、
江戸時代に虫害が続いたことがあり、当時の領主であった杵築藩の命に
より、松行村の協力を得て復活したようです。

今回の吉弘楽では、手甲、脚絆と兜や烏帽子などの武家っぽい(?)
装束に腰蓑をつけ、背に旗指物を差した楽人(がくと)49人が、
“ツグリ”と呼ばれる演目を披露してくださいました。

14あるすべてのツグリを打つことを「一庭」(ひとにわ)と呼ぶらしく、
この日は、午前と午後に一庭ずつ、合わせて二庭(ふたにわ)を
打ったようです。(私は午前で帰ってしまったので…汗)

神様に歌や踊りを奉納する系のこの手のお祭りを見るのは初めてで、
実際のところどういう風に楽しむべきなのか、
いまいちよくわかっていません。

室町や戦国のころは、このお祭りで殿様の目に留まるとか(取り立てられる?)、
褒美を頂戴するとか、(「盃をつかわす、近う寄れ」的な)そんなことも
あったかも(いやないだろう)と、そんな他愛のないことを考える
自分にツッコミをいれながら眺めていました。

来年は観覧のポジション取りも含め、今年の反省を踏まえ、
もっと楽しみ、もっと写真や映像(どっちにするか悩ましい)に残したいと
思います。

それにしても、室町時代や戦国時代、江戸時代はいざしらず、
近年ひどくなるばかりの殺人的な猛暑の中、2時間ほど踊り続けていた
(途中、水分補給はしていたけれど)楽人のみなさん、

大変、お疲れさまでした。

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帰路、なんとなくよい余韻があったので、筧城跡推定地(豊後高田市)と
吉広神社(別府市)にも足を延ばしてみました。(屋山城は無理)

吉弘さん三昧な一日。土曜日だったら、きっと岩屋城(太宰府市)にも
行ってしまっていたでしょう。